なぜ文豪と温泉には深い関係があるのでしょうか。名作の舞台となった温泉も少なくありません。
静かで集中できる環境にあり、疲れたら温泉でリフレッシュできる温泉地は、執筆活動に最適なのかもしれませんね。また温泉には、居住地とは違う気候の温泉地へ行くことで心身に適度な刺激が与えられ、気候順化機能で心や身体の状態が整う「転地効果」もあると言われています。
大江戸温泉物語 ホテル新光の近くの文豪の足跡をご紹介します。
ぜひゆかりの地をめぐり、文豪の気持ちに思いをはせてみてはいかがでしょうか。
太宰治(だざい おさむ)について
青森県生まれの太宰治は、「斜陽」「人間失格」のような滅びの美を描く作品から「走れメロス」のような明るい人間賛歌の小説まで、幅広い作風が特徴です。
私生活では恋多き男性であり、最期は愛人と入水自殺をしました。
一緒に熱海で遊んだ檀一雄を借金のカタに残して帰京したきり戻ってこず、井伏鱒二と東京で将棋を指していた「熱海事件」はあまりにも有名です。
この事件は「走れメロス」を書くきっかけとなったとも言われています。
太宰治ゆかりの地を巡る
新婚時代をを山梨県で過ごした作家・太宰治ゆかりの地をご紹介!
甘い新婚生活を過ごしつつ執筆を進めていた太宰に思いをはせながら、その足跡を追いかけてみましょう。
山梨県立文学館
山梨にゆかりのある作家の文学資料を収集・展示している文学館。
太宰治の草稿や手紙などを所蔵し、常設展で観覧できます。太宰以外にも数多くの文学資料がありますが、特に樋口一葉や芥川龍之介・飯田蛇笏・飯田龍太の資料は、質・量ともに充実していて必見です。
清運寺(せいうんじ)
太宰が結婚直前に住んでいた下宿・寿館の前の道は清運寺の参道になっていました。中央には大きな敷石があった参道は現在舗装されているため当時の面影はありません。
参道の敷石は、境内の藤棚下に移動しているので、どんな敷石だったのかを確認できますよ。
御崎神社(みさきじんじゃ)
太宰の新居近くにある神社。
甲府城の守りおよび府北部一帯の氏神様として祀られています。執筆活動の合間に太宰は新居周辺をそぞろ歩き、気分をリフレッシュしていたとのこと。
御崎神社も、きっと太宰にとって格好の散歩場所だったのかもしれません。
新居跡(太宰治碑)
新婚時代の1939年(昭和14年)、太宰は御崎町の借家に引っ越し、8ヶ月間という短い期間ながら充実したときを過ごしています。
建物は1945年(昭和20年)の甲府空襲で焼失。現在は残っていません。その代わり、現在は「太宰治僑居(きょうきょ)跡」の石碑が立っています。
喜久の湯
太宰の通っていた銭湯。
太宰は毎日15時まで執筆した後、汗を流しに通っていたと言われています。1934年(昭和9年)から現在まで、ずっと営業しているので今も入浴できます。
三島由紀夫(みしま ゆきお)について
東京都・四谷生まれの小説家・劇作家。
10代前半から小説を発表し、21歳で川端康成推薦で短編「煙草(たばこ)」を発表。長編小説「仮面の告白」で作家としての地位を確立しました。代表作は「金閣寺」「 潮騒」「豊饒の海」など。
1970年、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて決起を呼びかけたが叶わず、総監室で割腹自殺を遂げるというショッキングな最期を迎えました。
山中湖文学の森・三島由紀夫文学館
1999年(平成11年)オープンした「山中湖文学の森・三島由紀夫文学館」。
自然豊かな山中湖畔にあり、三島の直筆原稿はもちろんのこと、ありとあらゆる資料を収集・整理・保存しています。
資料は、創作・取材ノートや絵画・写真などの資料や研究書・雑誌など多岐にわたります。三島は10代前半から小説を発表していました。
文学館では10代の執筆作品を多く集めていることが大きな特徴です。
三島の生涯や作品をわかりやすくまとめて映像化した「世界の文豪 三島由紀夫」(第1部「生涯と作品」、第2部「豊饒の海」)も必見です。
文学・文豪ゆかりの地をめぐるときの楽しみ方をいくつかご紹介します。以下から気になる楽しみ方を探してみてください。
● 文豪のプロフィールを事前に知っておく
● 温泉にゆかりのある小説を持参して旅館で読書
● 小説に出てくる場所の聖地めぐり
文豪が人生でどのような時期にその温泉地を訪れていたのかは、プロフィールを知ることで理解できます。旅館で温泉にゆかりのある小説を読むと、温泉地の風景が描写されていて、見に行きたいと思えばすぐに出かけて見に行くのも簡単です。小説に出てくる場所を聖地として巡ると、小説の世界をよりリアルに感じられますよ。